最終更新:2026年1月24日(日本時間)
2025年8月、Appleは米国で一時停止されていたApple Watchの血中酸素(Blood Oxygen)機能について、ソフトウェア更新で再提供する「再設計版」を発表しました。ポイントは、Apple Watch側で取得したセンサーデータを、ペアリングしたiPhone側で計測と計算を行い、iPhoneのヘルスケアアプリ内で結果を表示する設計に変えた点です。Appleは「最近の米国税関の判断が、この更新を可能にした」と明言しています。(Apple)
この出来事は「ある健康機能が、いつから医療用モニター級の扱いになるのか」という、境界線をビジネス面から突きつけました。しかも論点は、FDAの医療機器規制だけではありません。米国では、特許紛争を背景にした輸入差止(貿易救済)と税関当局の運用が、製品設計と市場投入を左右しうることが、改めて可視化されました。(アメリカ合衆国国際貿易委員会)
以下は、ビジネスパーソン向けに「今回の最新裁定の意味」を深掘りした整理です。この記事は一般情報であり、個別案件の法的助言ではありません。

忙しい人向けの要点
- 最新の焦点は、Apple Watch単体ではなく「WatchとiPhoneの組み合わせで成立する血中酸素機能」を、輸入差止の対象とみなすかどうかに移りました。(Apple)
- 税関判断を契機に機能が復活した一方、医療モニタリング企業Masimoはその判断を不服として提訴し、輸入差止の復活を求めています。(Reuters)
- 2025年11月、米国国際貿易委員会(ITC)は、再設計版が輸入差止の対象になるかを改めて審査する新たな手続を開始しました(目標は約6か月)。(Reuters)
- 2026年1月にはFDAが「低リスクのウェルネス機器」をめぐる考え方を改めて明確化しました。ただし、規制上の位置付けがウェルネス寄りでも、特許と輸入差止のリスクが消えるわけではありません。(U.S. Food and Drug Administration)
そもそも何が「裁定」なのか
今回は「裁定」という言葉が複数の層を指します。
- ITCの輸入差止命令(セクション337)
ITCは2023年10月、Masimo側の主張を一部認め、特定の特許を侵害する「光学式パルスオキシメトリ(血中酸素)機能を持つウェアラブル電子機器」等について、限定的輸入差止命令(Limited Exclusion Order)などを出したと公表しています。(アメリカ合衆国国際貿易委員会)
その後の大統領審査期間(60日)において、米国通商代表部(USTR)はITC判断を覆さない(不承認にしない)と表明しました。これにより、輸入差止の効力が維持される流れが固まりました。(United States Trade Representative) - 税関当局(CBP)による「輸入差止の執行判断」
ITCの命令は、実際の水際での運用は米国税関・国境警備局(CBP)が担います。そこで、当該命令の対象に該当するか否かが「税関判断」として争点化します。(Reuters)
今回ビジネス上のインパクトが大きいのは、まさに2番目です。製品の作り方(どこで何を計算し、どこで結果を表示するか)により、水際での扱いが変わり得ることが示唆されたからです。(Apple)
時系列で理解する:境界線が動いたポイント
| 時期 | 出来事 | ビジネス上の意味 |
|---|---|---|
| 2023年10月 | ITCが限定的輸入差止命令などを発出(血中酸素機能のあるウェアラブル等) | 特許紛争が「輸入そのもの」を止め得る領域へ(アメリカ合衆国国際貿易委員会) |
| 2023年12月 | USTRが不承認(覆す)を行わないと表明 | 輸入差止が実運用へ(United States Trade Representative) |
| 2024年〜 | 米国向けモデルでは血中酸素機能が停止される動き | 機能のオンオフが市場対応手段に(ただし顧客体験に影響)(AP News) |
| 2025年8月14日 | Appleが「再設計版Blood Oxygen」を公表。Watchで測定し、iPhoneで計算し、ヘルスケアアプリで表示。税関判断で可能に | 機能の分散設計が水際リスクを左右し得る(Apple) |
| 2025年8月 | MasimoがCBPを提訴し、税関判断の無効化などを求める | 水際判断自体が訴訟対象に(Reuters) |
| 2025年11月 | ITCが再設計版の扱いを改めて検討する新手続を開始 | 境界線が確定せず、再び輸入差止が拡大する可能性(Reuters) |
| 2025年12月 | 連邦地裁がMasimo側の差止(TRO・仮差止)申立てを退けたと報じられる | 短期的には輸入継続。ただし本案とITCは別軸で残る(news.bloomberglaw.com) |
今回の「境界線」の核心:医療用モニターはハードで決まらない
今回の示唆は、単純に「スマートウォッチは民生品、医療用モニターは医療機器」という二分法が崩れている点にあります。
- Appleは再設計版について、計算と表示をiPhone側に移し、結果はiPhoneのヘルスケアアプリ(呼吸器関連の表示セクション)で見られると説明しています。(Apple)
- つまり「測定センサーを腕に付ける」ことと「医療的意味を持つ数値として算出し、ユーザーに提示する」ことが別デバイスに分割されました。(Apple)
これがなぜ境界線の話になるか。
輸入差止の実務では「輸入される物が、命令の対象かどうか」が問われます。再設計により、輸入時点でのWatch単体が命令対象から外れる余地が生まれた、と理解されているのが今回の騒動です。(Reuters)
しかし、2025年11月にITCが新手続を開始したこと自体が「結論がまだ揺れている」ことを示します。ITCは、再設計版が従来命令の射程に入るかを改めて検討する方向へ動きました。(Reuters)
MasimoがCBPを提訴した理由:争点は「手続」と「実質」
Reutersによると、MasimoはCBPの判断が輸入差止命令を弱めると主張し、CBPに対して訴訟を提起しました。Masimo側は、CBPが従前の判断を適切な通知なく変更したなどと訴え、当該判断の差し止めを求めています。(Reuters)
ここで重要なのは、相手がAppleだけでなく「税関当局」である点です。
ビジネス的には、次の現象を意味します。
- 製品の設計変更を巡り、民間同士の特許訴訟だけでなく、行政手続の適法性(行政訴訟)に争点が広がる
- 「水際で通るかどうか」が、単なる解釈問題ではなく、訴訟リスクとして長期化しうる
この構図は、医療領域に隣接する機能を持つ民生デバイス全般に波及し得ます。(Reuters)
裁判所の動きと、短期的な落ち着き
2025年12月には、Masimoが求めた一時的な差止(TRO・仮差止)について、連邦地裁が認めなかったと報じられています。これにより、短期的には輸入継続の公算が高い状態が続いています。(news.bloomberglaw.com)
ただし、これは「最終的にどちらが勝つか」とは別問題です。
ITC側の新手続が動いている以上、企業としては「一度通った設計が、半年後も通る」とは言い切れません。(Reuters)
規制(FDA)面の境界線も動いている
ここで混同しがちなのが「FDAの医療機器規制」と「特許と輸入差止」の軸です。別軸として理解した方が安全です。
- Apple自身、Blood Oxygenの測定について「医療用途を意図したものではなく、一般的なフィットネスとウェルネス目的」と説明しています。(Apple サポート)
- そして2026年1月、FDAは「General Wellness: Policy for Low Risk Devices」というガイダンスを更新し、健康的生活の維持・促進に関する一定のソフトウェア機能が、疾病の診断・治療等と無関係であれば、法令上の医療機器の定義から外れることがある、という枠組みを改めて明確化しています。(U.S. Food and Drug Administration)
- Reutersも、FDAが健康・フィットネス系ウェアラブルの規制を限定し、医療的な主張(例:医療グレードの血圧測定など)を行わない限り、情報提供型のツールを許容する方向を報じています。(Reuters)
ここから得られる実務的な結論はシンプルです。
規制上はウェルネス寄りに位置付けられても、特許と輸入差止の世界では「医療モニタリング技術」として争われ得ます。境界線は1本ではなく、複数の当局と制度の重なりで決まります。(Apple サポート)
ビジネスへの示唆:この事案が他業界にも刺さる理由
スマートウォッチ業界だけの話ではありません。特に、ヘルスケア寄り機能を持つIoTや家電、アプリ、B2Bデバイスにも共通する論点が含まれます。
- 機能分散アーキテクチャは、法務と貿易の論点になる
今回の再設計は「どこで計算し、どこで結果を表示するか」を変えています。これは製品設計の話ですが、水際リスクを左右する可能性があることが示されました。(Apple) - 民生機器でも、輸入差止で一気にサプライチェーンが止まる
ITCの命令は、訴訟の勝ち負けだけでなく、特定モデルの輸入停止という形で事業インパクトを直撃します。これは関税率の問題よりも急激です。(アメリカ合衆国国際貿易委員会) - 争点が「機能のオンオフ」になると、顧客体験と説明責任が重くなる
機能停止や表示先の変更は、同じ型番でも体験が変わることを意味します。アップデートや地域差がある場合、販売現場やカスタマーサポート、契約条項まで連動します。(Apple) - 規制コンプライアンスとIPリスク評価を一体運用する必要がある
FDAガイダンスの枠内に収める設計や表示をしても、特許紛争や輸入差止とは別で火が付く場合があります。社内の担当分断があるほど対応が遅れます。(U.S. Food and Drug Administration) - 「医療」企業との競争領域に入った瞬間、相手の戦い方が変わる
Masimoは医療モニタリング企業であり、争点が医療計測技術に絡むと、特許、ITC、税関手続、複数裁判地が同時進行になり得ます。事実として、この紛争は複数の場で動いています。(Reuters)
実務チェックリスト:製品企画と事業責任者が押さえるべきこと
社内で今すぐ点検できる観点を、実務寄りにまとめます。
- 製品機能の分解表を作る
センサー、アルゴリズム、表示、保存、共有、外部連携(医師との共有など)が、どのデバイスで動くかを明文化する。今回のように分散設計が争点化し得るため。(Apple) - 市場別の機能差とアップデート方針を契約・表示に落とし込む
地域差や購入時期で機能が変わる可能性がある場合、販売条件とアフターサービスの説明責任を整理する。(Apple) - IPと貿易救済(ITC)を初期段階で横串評価する
特許調査が訴訟回避だけでなく、輸入可否の事業継続性に直結する。(アメリカ合衆国国際貿易委員会) - 規制上の主張(ウェルネスか、医療か)をマーケと法務で統一する
FDAの枠組みを意識しつつ、医療的な主張の一線を越えない表現設計にする。(U.S. Food and Drug Administration) - 水際で止まった場合の代替案を事前に用意する
モデル切替、ソフトウェア機能の限定、在庫・販路の切替などのシナリオを準備する。(アメリカ合衆国国際貿易委員会)
今後の見通し:2026年前半の注目点
2026年1月時点で、注視すべきは次の3点です。
- ITCの新手続の行方
再設計版が輸入差止の射程に入るかどうかは、ビジネス上の不確実性の源泉です。目標は約6か月とされています。(Reuters) - CBP判断を巡る訴訟の進展
短期の差止が退けられたとしても、本案で判断枠組みが変われば、再び水際運用が動く可能性があります。(news.bloomberglaw.com) - 規制面では、ウェルネス枠の拡大と「医療的主張」への監視の両立
FDAは低リスク領域を明確化する一方、医療グレードをうたう主張には警戒を示しています。製品の言い方が市場アクセスを左右します。(U.S. Food and Drug Administration)
まとめ
今回の一連の動きが教えるのは、ウェアラブルの健康機能が進化すると「医療」と「民生」の線引きが、規制だけでなく、特許と貿易救済、そして税関の水際運用で決まっていくという現実です。(アメリカ合衆国国際貿易委員会)
ビジネス側に必要なのは、機能の設計、法務、規制、貿易実務を分けて考えないことです。分散コンピューティングやソフトウェア更新が当たり前になった今、境界線は仕様書の中にあります。



