1. そもそもHSCとは?なぜビジネスに効いてくるのか
WCO(世界税関機構)の Harmonized System Committee(HSC:通称HS委員会) は、
世界共通の関税分類ルールである HS(Harmonized System) の「最高裁+立法準備会議」のような存在です。
- 各国から持ち込まれる「この製品はどのHSコードか?」という争点を審議し、分類決定(Classification Decision) を行う
- HS条文や解説書(Explanatory Notes)の改正案を議論し、将来の HS改正(次回はHS2028) を形作る
- その結果は、各国税関・FTAの原産地規則・企業のERPマスタに波及
つまり、HSCの決定は、**「まだ法律改正前」でも、実務上は事実上の“国際解釈基準”**になり得ます。
今回の第76会期は、まさにその意味で、今後数年の通商・サプライチェーンに影響する重要な会合でした。
2. 第76会期の概要:数字で押さえる全体像
WCO公表情報および各種解説によると、第76回HSCは次のような内容でした。(wcoomd.org)
- 開催期間:
- 審議:2025年9月17日〜26日
- 報告読会(Report reading):2025年10月3日
- 参加:74メンバー(73か国+EU)
- 主な成果(定量面)
- 議題:71件を審査
- 40件の分類決定 を採択
- HS2022版 Explanatory Notes 改正 2件 を承認
- 新規 Classification Opinions 21件 を作成し、既存2件を削除
- HS2028への橋渡し
- HS2022⇔HS2028の相関表(Correlation Tables)の検討を開始
- 2022–2028間の相関を示す表のフォーマットを改善(より分かりやすく、実務で使いやすい形式に改良)(wcoomd.org)
- その他の運営面
- 議長:Tom Beris氏(米国)
- 次期(第77・78会期)議長として、Taufik Ismail氏(インドネシア)を選出
- 第77会期は2026年3月、ブリュッセルWCO本部で開催予定(Customs Manager.Info)
数字だけ見ると「ふーん」で終わってしまいますが、ビジネスマン視点で重要なのは、これが何に効いてくるかです。
3. HS2028に向けた“地ならし”が本格スタート
3-1. HS2028そのもののステータス
HS2028の本体(条文レベルの改正案)は、前回の第75会期(2025年3月)で暫定採択済みです。
- HSCは2025年3月の第75会期で、Article 16 Recommendation(HS2028改正勧告案)を暫定採択(wcoomd.org)
- 2025年末(12月)にWCO評議会で正式採択予定
- 勧告文は 2026年1月に公表、2028年1月1日発効のスケジュールが示されています(wcoomd.org)
つまり、高々3年後(2028年1月)には、世界のHSが丸ごと“2028版”に切り替わることが確定している段階です。
3-2. 第76会期で始まった「相関表」作業
今回の第76会期で重要なのは、次の一点です。(wcoomd.org)
HS 2022版とHS 2028版の相関表の検討がスタートし、
2022→2028の対応関係を示す表のフォーマットが改善された。
この 相関表(Correlation Tables) は、実務でいうと:
- 既存の6桁コード(HS2022)が HS2028でどう変わるか を一望できる“変換表”
- 1対1ではなく、分割・統合・コード移動が一目でわかる資料
- WCO Trade Toolsなどを通じて提供され、各国の関税表・FTA原産地規則改正のベースになる(WCOTRADETOOLS)
日本企業にとっては、「HS2028対応プロジェクトの起点情報」 として、この相関表が中核的な役割を果たします。
4. 第76会期で何が決まったのか:実務目線での読み替え
第76会期では、個々の製品に関する40件の分類決定 がなされています。(wcoomd.org)
ただし、WCOニュースや二次ソースはあくまで「件数と枠組み」までで、具体的にどのHSコードに何を当てたかは、
- WCOの公式文書(Classification Decisions、Classification Opinions、Explanatory Notes改正文)
- 有料のHSデータベースやコンサルレポート
を通じて確認する必要があります。
ここでは、**日本のビジネスマンが押さえるべき“レベル感”**に絞って整理します。
4-1. ポイント①:40件の分類決定=各国税関の“今後の物差し”
HSCで採択された分類決定やClassification Opinionは、
- 各国税関の「審査・事後調査」の判断材料
- 事実上の “先例判決”のような役割
を果たします。
実務上の意味合い:
- これまでグレーゾーンだった製品のHSコードについて、
- 税関側は「HSC決定を踏まえると、このコードであるべき」と主張しやすくなる
- 企業側は、既存のコードの妥当性を 見直さざるを得ないケースが出てくる
- 特に、
- 電子機器・IT関連製品
- 医療・ヘルスケア機器
- 環境・脱炭素関連製品
- 食品・飲料関連
といった分野では、技術進化が早く、過去の解釈が陳腐化しやすいため、HSC決定の影響が出やすいと考えられます(ここは傾向としての推論)。
4-2. ポイント②:Explanatory Notes改正=「解釈の条文」が書き換わる
2件のExplanatory Notes改正は、「HSの本文」ではなく、
“こう解釈しなさい”という公式解説の書き換え です。(wcoomd.org)
企業視点では:
- これまでグレーだった条文表現が、
- ある特定の用途・機能を念頭に置いた説明へと具体化される
- その結果、「うちの商品はこっちの類・項目に読めるのでは?」という議論の余地が小さくなる
- 将来的に日本の通関実務(税関の事後調査・事前教示・裁判例)にも、
- この改正Explanatory Notesが“理論武装”として持ち込まれる可能性が高い
自社のHSコードがグレーなまま長年放置されている商品があれば、
「今回のExplanatory Notes改正で位置づけが変わっていないか?」を確認する価値があります。
4-3. ポイント③:Classification Opinions 21件=実務で使える“判例集の増強”
Classification Opinionsは、いわば 具体的な製品例付きの判例集 です。
- 条文・解説書を読んでも迷う場合に、「この仕様の製品はこのコード」と示してくれる
- 21件新設+2件削除ということは、
- 新しい技術・市場に合わせた“ケース集の追加”
- 既に古くなった(市場から消えた、技術的に陳腐化した)事例の撤去
を意味します。(wcoomd.org)
特に、EUのBTI、日本の事前教示、米国のCBP判例などを頻繁に参照している企業は、
- WCOレベルのClassification Opinionsと各国判例の整合性をチェックしつつ、
- 内部の「社内HS基準書」「判断メモ」に反映させておくと、
5. 日本企業の実務への影響:どこから手をつけるべきか
ここからは、HSC第76会期の結果を 「日本の輸出入実務」 に落とし込んで整理します。
5-1. 影響①:HSマスタ(6桁)の“地殻変動”準備
HS2028が確定し、相関表作業が始まったことで、
2026〜2027年は「HSマスタの全面見直し期間」になることがほぼ確定しています。(wcoomd.org)
- 6桁HSレベルで
- 分割されるコード
- 統合されるコード
- 別章・別類に移動するコード
- それに連動して、
- 各国の関税表(8桁・9桁・10桁)が改正
- FTA/EPAの原産地規則(CTCルールなど)が改正
やっておくべきこと(例):
- 社内HSマスタを「2022版準拠」で一旦整理し直す(現状を安定させる)
- HS2028の草案動向と相関表の公開時期(2026年1月以降)をウォッチ
- HSC第76会期以降の分類決定が、
- 自社主要製品の属する類・項(第84類・85類・90類など)にどれだけ含まれているかを確認
5-2. 影響②:FTA/EPA原産地判定への波及
HS改正は、そのまま FTA/EPAの原産地規則(CTCルール)改正 に波及します。
- 例:
- 従来「他の第84類への変更」が要件だったルールが、
- HS2028で類の構成が変わることで、
- 複数のFTA(RCEP、日EU、CPTPP 等)を使い分ける企業にとっては、
- 各協定ごとに「HS2022→HS2028の原産地ルール対応」が時間差で行われる
HSC第76会期の結果そのものは、まだFTA原産地規則を直接変えるものではありません。
しかし、
「HS2028版への移行が不可避であり、そのための相関表作業が動き出した」
という事実は、FTA戦略・工場配置・サプライチェーンの再設計を“先送りできない段階”に入ったことを意味します。
5-3. 影響③:価格・契約(インコタームズ+関税変動条項)への反映
HSコードの変更は、次のような形で 価格・契約実務 に跳ね返ります。
- HS変更 → 関税率変更 →
- 顧客との価格条件(CIF/FOB・DAPなど)の見直し
- 長期契約における「関税変動条項(tariff adjustment clause)」の発動・改訂
- 特に、米国・EU・メキシコ・インドなど、関税政策が政治・安全保障とリンクしている国では、
- HSの細分化をきっかけに、特定品目の関税引き上げ・相互関税対象化 が行われるリスクもあり得ます
HSC第76会期の数字だけを見て安心するのではなく、
**「うちの主要製品が、将来“狙われやすい分類”に入っていないか」**を逆算して見ておくことが重要です。
6. 企業として“今から”やっておきたい5つのアクション
最後に、日本のビジネスマン向けに、
「第76会期の結果を踏まえて、今からやっておきたいこと」 を5つに絞ります。
アクション1:自社HSマスタの「棚卸し」とリスクフラグ付け
- 主要輸出入品目のHSコードを、
- HS2022版ベースで統一・整備(過去の10桁国別コードから逆算して6桁を確定)
- その上で、
- 「解釈余地が大きい」「他社とコードが割れている」「税関との過去の論争がある」品目にリスクフラグを付ける
→ HSC新決定(第76会期以降)の対象との重なりを後からチェックしやすくなります。
アクション2:WCO情報ソースへの“定期アクセス”体制づくり
- 情報源として、少なくとも次の2つは定期ウォッチを推奨:
- WCOの Nomenclatureニュースページ(HSC会合結果)(wcoomd.org)
- HS関連解説を行う民間サイト(コンサル・専門メディア)
社内で「HS担当者だけが見ている」状態ではなく、
貿易実務・営業・調達・法務が共有するニュースとして扱うと、
組織的な感度が一段上がります。
アクション3:FTA/原産地・税務・法務を巻き込んだ“HS2028準備チーム”構想
- HS2028対応は、単なるHSコード変換作業ではなく:
- FTA原産地判定
- 価格戦略・関税負担配分
- 契約条項(関税変動条項、価格見直し条項)
- 税務・移転価格(関税コストの損益配分)
にまで影響する「横断プロジェクト」です。
第76会期で「相関表フォーマット」が決まった今こそ、
2026〜2027年の本格移行に向けた “プロジェクトの企画フェーズ” を始めるタイミングと言えます。
アクション4:社内ルール・マニュアルへの反映(証跡の残し方を含む)
- 新しいClassification OpinionsやExplanatory Notes改正を踏まえて、
- 社内のHS分類マニュアル
- 製品ごとの「分類ロジックメモ」
をアップデート
- 特に、日本の税関・JCCI・顧客からの問い合わせに備え、
- 「なぜこのHSコードにしているのか?」を
- HSC決定・Explanatory Notesの該当箇所でロジカルに説明できるようにしておく
→ 将来の調査やFTA原産地検認の際に、“後出しじゃんけん”ではない説明が可能になります。
アクション5:システム・ツール側の準備(HS2028対応を見据えて)
- ERP・貿易管理システム・原産地判定ツールについて、
- 「HS版管理」をどう実装するか(HS2017/2022/2028を併存させるのか)
- 相関表をどう取り込み、自社マスタにマッピングするか
- 外部ツール(例:HS Code Finderのようなサポートツール)を使う場合も、
- HS2028対応ロードマップ
- HS2022⇔2028の相関機能の有無
を早めに確認しておくと、IT投資・BPO活用の計画が立てやすくなります。
7. まとめ:第76会期は「嵐の前の“設計”フェーズ」
第76会期のニュースを一言でまとめると、
「HS2028時代に向けて、
国際的な“解釈ルールと変換表”の設計が本格スタートした」
という段階です。
- まだ各国の関税率が動いたわけでも、FTAルールが一斉に変わったわけでもありません。
- しかし、HS2028の方向性はほぼ固まり、相関表作りが始まった今こそ、企業側の準備フェーズを始めるべきタイミングです。
日本のビジネスマンとしては:
- 「HS2028が来る」という前提を社内で共有する
- HSC第76会期の数字(40分類決定・21Classification Opinions・2EN改正)を “シグナル”として受け止める
- HSマスタ・FTA・契約・システムを跨いだ 社内プロジェクト構想 を動かし始める
この3つを押さえておくだけでも、
2028年1月1日のHS2028発効を “混乱の年”ではなく、“競争優位に変える年” にできるはずです。