英国のCPTPP加盟で変わる対英貿易。日英EPAとの「二刀流」活用術

2026年2月6日、英国が環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)に正式加盟してから一定期間が経過しました。現在、日本の貿易現場では、既存の「日英経済連携協定(日英EPA)」と、新たに使用可能になった「CPTPP」のどちらを選択すべきかという、戦略的な使い分けの議論が非常に活発化しています。

同じ日本と英国の間の貿易でありながら、二つの異なるルールが存在する現在の状況は、企業にとってコスト削減の大きなチャンスであると同時に、実務的な複雑さも増しています。本稿では、ビジネスマンが押さえておくべき二つの協定の決定的な違いと、最適な選択を行うための視点を深掘りします。


どちらを選ぶべきか。判断を分ける三つの核心

日英間で二つの協定が共存する「ダブル・トラック」体制において、企業が優先順位を決める際の基準は、単なる関税率の低さだけではありません。以下の三つの要素が、活用の鍵を握っています。

1. 原産地規則における「累積」の範囲

これが実務上で最も大きな違いです。

日英EPAでは、欧州連合(EU)産の原材料や部品を「自国(日本または英国)産」とみなして計算に含めることができる「EU累積」が認められています。これは、ドイツやフランスなどのEU諸国から部品を調達して英国で組み立てを行う、あるいは日本でEU産部材を使って製品化する企業にとって、極めて有利なルールです。

対して、CPTPPでは、ベトナム、マレーシア、オーストラリア、カナダといったCPTPP加盟国全体の部材を合算できる「CPTPP広域累積」が適用されます。アジア圏のサプライチェーンを広く活用している企業にとっては、CPTPPの方が「日本産」としての資格を満たしやすくなるケースが多いのです。

2. 関税撤廃スケジュールの微妙な差

日英EPAは、基本的に日欧EPAの成果を継承しており、多くの品目ですでに即時撤廃、あるいは高度な削減が実現しています。

一方で、CPTPPは加盟国間での独自の譲許表(関税撤廃スケジュール)を持っており、特定の品目、例えば農産品や一部の工業製品においては、CPTPPの方が最終的な無税化までの期間が短かったり、枠組みが異なったりする場合があります。輸出入を行う品目ごとに、両方の協定の譲許表を突き合わせ、数年先の税率まで見越したシミュレーションを行うことが不可欠です。

3. 証明手続の利便性と柔軟性

日英EPAでは、輸出者または輸入者が自ら原産地を証明する「自己申告制度」が採用されています。

CPTPPも同様に自己申告が基本ですが、長年CPTPPを他の太平洋諸国との間で使い慣れている企業にとっては、共通のフォームや社内管理体制をそのまま英国向けにも横展開できるという運用上のメリットがあります。複数の協定をバラバラに管理するコストを避けるため、あえて他の国と同じCPTPPに統一するという経営判断も増えています。


ビジネスマンが取るべき実務アクション

戦略的な使い分けを実現するために、今すぐ着手すべき具体的なアクションは以下の通りです。

  1. サプライチェーンの再点検自社製品に使用されている主要部材の原産地を改めて特定してください。EU産が多いのか、それともASEAN(CPTPP加盟国)産が多いのかによって、勝負すべき協定は自動的に決まります。
  2. 二つの譲許表の「現行税率」比較税関やJETROが提供しているデータベースを活用し、当該HSコードにおける本日の実行関税率を比較してください。日英EPAではすでに0%でも、CPTPPでは段階削減の途上であるといった逆転現象も起こり得ます。
  3. 認定輸出者制度等のステータス確認自己申告を行うための社内エビデンス(原産地判定書など)が、両方の協定のルールに対応できているかを確認してください。特に累積規定を利用する場合、根拠となるサプライヤー証明書のフォーマットが異なる場合があります。

まとめ:協定を「選べる」強みを利益に変える

英国のCPTPP加盟により、日本企業は強力な武器を二つ手に入れました。これまでは「日英EPA一択」だった思考を切り替え、調達ルートの変化に合わせて柔軟に協定を使い分けることが、2026年以降のグローバル競争を勝ち抜くための新常識となります。

関税コストの削減は、直接的に営業利益を押し上げます。法務や物流の担当者だけでなく、営業や経営企画の部門も巻き込んで、この「二刀流」のメリットを最大限に引き出す戦略を構築してください。

免責

本稿は一般的な情報提供を目的としたもので、個別案件の法的助言ではありません。実際の申告・契約・規制適合は、対象国の法令と最新の当局公表、必要に応じて専門家見解に基づき判断してください。

英国・カナダ貿易交渉の暗礁。暫定協定の期限切れが招く関税復活のシナリオ


2026年2月、英国とカナダの間で続けられていた自由貿易協定(FTA)の交渉が、重大な局面を迎えています。

ブレグジット(英国のEU離脱)後に急遽結ばれた現在の「日英通商継続協定(TCA)」に含まれる特定条項の期限切れが迫る中、新たな包括的FTAに向けた交渉が難航し、事実上の決裂リスクが高まっているとの報道がなされました。

もし合意に至らず、現在の暫定的な優遇措置が失効すれば、自動車や農産品に高率の関税が復活する「貿易の崖」が出現します。本記事では、FTAの専門家の視点から、なぜ両国の溝が埋まらないのか、そして日本企業を含むグローバルサプライチェーンにどのような影響が及ぶのかを解説します。

チーズと牛肉の戦争。埋まらない大西洋の溝

今回の交渉難航の最大の原因は、伝統的な貿易摩擦の火種である農業分野です。具体的には、英国のチーズとカナダの牛肉という、互いの譲れない国益が正面衝突しています。

英国側は、カナダ市場に対してチーズの輸出拡大を求めています。しかし、カナダには供給管理制度という強力な国内酪農保護の仕組みがあり、外国産乳製品の輸入を厳しく制限しています。英国にとって、この市場開放はFTAの主要な成果として譲れないポイントです。

一方のカナダ側は、英国市場への牛肉および豚肉のアクセス拡大を求めています。ここで問題となるのが、肥育ホルモンの使用です。カナダでは一般的に使用されるホルモン剤を、英国は食品安全の観点から禁止しています。英国は「ホルモン牛肉は輸入させない」という姿勢を崩しておらず、カナダ側はこれを「科学的根拠のない非関税障壁」だと強く反発しています。

この「チーズ対牛肉」の対立構造が解消されない限り、包括的な合意は極めて困難な状況です。

自動車産業を直撃する原産地規則の期限切れ

農業以上に産業界が恐れているのが、自動車に関する原産地規則の特例措置の失効です。

現在の暫定協定では、英国製の自動車がカナダへ輸出される際、EU(欧州連合)産の部品を使用しても、それを「英国産(原産材料)」とみなしてよいという累積規定の特例が認められています。

しかし、この特例には期限があります。もし交渉が決裂し、この期限が延長されなければ、EU産部品を多く使う英国車は「英国産」としての原産資格を満たせなくなる可能性があります。その結果、カナダへの輸入時に関税ゼロの恩恵を受けられず、6.1パーセント等の通常関税(MFN税率)が課されることになります。

これは英国に生産拠点を持ち、北米へ輸出している自動車メーカーにとって、競争力を根底から覆すコスト増となります。

ビジネスマンが想定すべき最悪のシナリオ

交渉が合意に至らず、暫定協定の一部失効、あるいは協定そのものの停止という事態になった場合、ビジネスには以下のような直接的な影響が出ます。

WTO税率への逆戻り

特恵関税(FTA税率)が適用できなくなれば、両国間の貿易は世界貿易機関(WTO)のルールに基づく最恵国待遇(MFN)税率に戻ります。自動車だけでなく、機械類、化学品、加工食品など、これまで無税で取引されていた多くの品目で関税コストが発生します。

カナダ・英国経由ビジネスの採算悪化

日本企業の中には、英国法人を通じてカナダへ製品を再輸出している、あるいはその逆の商流を持っているケースがあるかもしれません。これらのルートは、日英FTAや日カナダFTA(CPTPP)とは別の、英カナダ間の協定に依存しています。このパイプラインが詰まることで、物流ルートの再構築が必要になる可能性があります。

企業が今すぐ確認すべきこと

「対岸の火事」と静観している時間はありません。以下の3点を至急確認してください。

商流とHSコードの洗い出し

自社のサプライチェーンの中に、英国からカナダ、あるいはカナダから英国へ移動している物品がないか確認してください。該当する場合、そのHSコードに対するMFN税率(協定がない場合の税率)が何パーセントになるかを試算し、コストインパクトを把握する必要があります。

契約書のインコタームズと免責条項

もし関税が復活した場合、その追加コストを売り手と買い手のどちらが負担するのか。DDP(関税込み持込渡し)条件で契約している場合、輸出者が突然発生した関税を被ることになります。契約条件の見直しや、関税変動時の価格改定条項が含まれているかを確認してください。

代替ルートの検討

最悪の場合、英国を経由せずに、日本から直接カナダへ送る(CPTPPを活用する)、あるいはEU拠点からカナダへ送る(CETAを活用する)といった代替ルートの方が、関税コストを抑えられる可能性があります。物流部門と連携し、シミュレーションを行ってください。

まとめ

英国とカナダのFTA交渉難航は、主要国同士であっても保護主義的な対立によって自由貿易が後退し得るという現実を突きつけています。

「期限ギリギリで政治決着するだろう」という楽観論は禁物です。ビジネスにおいては、関税優遇という梯子が外されるリスクを常に想定し、協定に依存しない、あるいは複数の協定を使い分けられる強靭なサプライチェーンを構築することが求められています。