2026年3月8日
はじめに
「交渉中」という言葉が長く続くと、企業はその動向を追うことをやめてしまいがちです。日本とトルコの経済連携協定(EPA)は、まさにその典型例でした。しかし2025年から2026年にかけて、この交渉に新たな動きが生じています。本記事では、交渉の経緯・争点・最新動向を整理し、日本企業が今すぐ何を準備すべきかを解説します。

交渉の歴史 ── 2012年から続く長い道のり
日本とトルコがEPA締結に向けた共同研究に合意したのは、2012年7月のことです。 その後、両国間で共同研究が進められ、結果を踏まえて正式な交渉開始が決定されました。2014年12月に第1回交渉会合が開かれ、以降、複数回にわたる会合が積み重ねられました。
交渉はその後も継続されましたが、2019年頃を境に公式の会合発表が途絶え、事実上の停滞期に入ります。 外務省のウェブページからも、この状況は確認できます。つまり、この交渉はすでに10年以上、山あり谷ありの道のりをたどってきた案件です。
なぜここまで長期化しているのか
交渉が難航している根本的な理由は、両国の経済構造の違いにあります。日本が関税の引き下げや撤廃を強く求めているのは、自動車・同部品、化学製品、電子機器、鉄鋼といった工業製品です。 一方、トルコが日本に求めているのは、たばこ・魚介類・野菜・果物・繊維製品など、農水産品と一次産品が中心です。
この構図が、交渉を複雑にしています。日本側は農水産品をセンシティブ分野として扱い、大幅な関税撤廃に慎重な姿勢を崩していません。 工業製品の原産地規則も大きな争点です。自動車・化学・鉄鋼の各分野で、どの国で生産された部品や原材料を使用すればトルコ産と認定するか、という原産地規則の細部が折り合っていません。
さらに、日本企業がトルコへ進出する際に障壁となっている制度的な問題もあります。外国人従業員を1人採用するごとに地元トルコ人を5人雇用しなければならないとされる「1対5ルール」の適用除外、電気自動車(EV)に対する輸入規制の緩和、滞在許可手続きの迅速化といった非関税障壁の解消も、交渉テーブルに乗っています。
2025〜2026年の最新動向
長年止まっていた交渉に、2025年から変化の兆しが現れています。
2025年3月、日本経済団体連合会(経団連)は「日・トルコEPAの速やかな締結を求める」と題した提言を公表し、交渉が遅れるほど日本企業の機会損失が拡大すると警告しました。 経団連はグローバル・バリュー・チェーン(GVC)の再編が世界的に進む中で、締結が遅れれば本来期待された効果すら得られなくなる恐れがあると明確に指摘しています。
そして同年4月、東京で開催された日本・トルコCEOラウンドテーブル会議に出席したトルコ通商相が「交渉は最終段階に近づいている」と発言し、双方の利害を尊重した上で共通の合意点を見つけられると確信していると述べました。 ただし、2026年3月時点では、具体的な妥結の公式発表には至っていません。
日本企業にとってのビジネスチャンス
EPA締結が実現した場合、どのような恩恵が生まれるのでしょうか。
まず、関税コストの直接的な削減が挙げられます。トルコは自動車に高い関税率を課しており、これが日本の自動車メーカーや部品サプライヤーにとって大きなハードルになっています。EPA締結で関税が撤廃または引き下げられれば、価格競争力が高まります。
次に、製造拠点としてのトルコの戦略的な価値が増します。トルコはアジアとヨーロッパの中間に位置し、EUとの関税同盟(カスタムズ・ユニオン)を維持しています。 日本企業がトルコに生産拠点を設ければ、日本からの部品輸入コストを抑えながら、EU市場への輸出も有利に行える可能性があります。化学、電子部品、機械分野でも同様の恩恵が期待できます。
また、ビジネス環境の制度的な改善も見込まれます。経団連が求める「1対5ルール」の適用除外や滞在許可の迅速化が実現すれば、駐在員の派遣や現地法人の運営にかかるコストと手間が大幅に軽減されます。
いま企業が準備すべきこと
EPA交渉の妥結から発効までには、通常1年以上の時間がかかります。発効後も、原産地証明の取得手続きや社内の関税管理体制の整備に相応の準備期間が必要です。交渉が「最終段階に近い」という発言が出ている以上、企業は妥結を待ってから動くのではなく、今から準備を始めることが合理的な選択です。
具体的には、以下の点を確認しておくことをお勧めします。
トルコ向け輸出品のHSコードを最新の2026年改正版に照らして再確認する。原産地規則の草案が公開された際に自社製品が要件を満たすか試算できるよう、部品調達先の国別比率を整理しておく。現地パートナーや法人設立に向けた情報収集を開始し、「1対5ルール」への対応策を検討する。トルコのEV市場の動向を把握し、関税優遇が適用された場合の販売戦略を事前に描いておく。
交渉長期化がもたらすリスク
見落としてはならない視点があります。交渉が引き続き停滞すれば、競合する欧州・韓国・中国メーカーがトルコ市場でのシェアを先に固める可能性があります。特に韓国はトルコとFTAをすでに締結しており、自動車・電子機器分野での価格競争力においてすでに優位に立っています。
経団連が指摘するように、GVCの再編が急速に進む現在、EPA妥結が遅れれば「締結できたとしても当初期待したほどの効果をもたらさない恐れがある」という警告は、単なる経済団体の主張以上の重みを持っています。
おわりに
日トルコEPAは、2012年の合意から10年以上にわたって交渉が続く、日本のEPA交渉の中でも特に長期化した案件のひとつです。しかし2025年のトルコ通商相の発言や経団連の積極的な働きかけを踏まえると、交渉は形式的な継続から実質的な収束フェーズへ移行しつつあると解釈できます。自動車・化学・鉄鋼メーカーをはじめ、中東欧市場への橋頭堡を求める日本企業にとって、この協定の行方は引き続き注視すべき重要テーマです。
免責事項
本記事に掲載している情報は、外務省・経済産業省・経団連・ジェトロ等の公表資料および報道情報をもとに、2026年3月8日時点で編集したものです。EPA交渉の状況は流動的であり、交渉の内容・時期・最終的な効果は今後変更される可能性があります。本記事は情報提供を目的としたものであり、特定の投資・経営判断を推奨するものではありません。実際のビジネス判断に際しては、専門家への相談および最新の一次情報をご確認ください。本記事の内容に基づいて生じた損害・損失について、筆者および運営者は一切の責任を負いません。