EU鉄鋼セーフガードの兆しを読む――2026年以降を見据えたビジネスパーソンの視点

EU鉄鋼セーフガードの兆しを読む
――2026年以降を見据えたビジネスパーソンの視点


※本記事は、2025年12月時点で公開されているEU・業界団体等の資料に基づいています。


1. まず「EU鉄鋼セーフガード」を30秒でおさらい

EUの鉄鋼セーフガードは、「輸入が急増して域内産業に深刻な被害が出そうなとき、一時的に輸入を抑えるための非常ブレーキ」です。WTO協定に基づくセーフガード措置の一種で、EUでは主に次のような仕組みになっています。

  • 対象:26品目カテゴリーの鉄鋼製品
  • 形式:関税割当(TRQ)+超過分25%関税
  • 内容:2015〜2017年の平均輸入実績をベースに関税割当枠を設定し、その枠内は無税、枠を超えた輸入には25%の追加関税

この制度は、2018年の米国による鉄鋼セクション232関税(25%)をきっかけに、EU市場に鉄鋼がなだれ込む「迂回輸出」を防ぐ目的で導入されました。


2. いまEUセーフガードはどこまで来ているのか

2-1. 2026年6月までは現行セーフガードが継続

EUは2024年6月の調査を経て、鉄鋼セーフガードを2026年6月30日まで2年間延長することを決定しました。

  • 延長期間:2024年7月1日〜2026年6月30日
  • 形式:これまで同様、TRQ+超過分25%関税
  • 理由:
    • 世界的な鉄鋼過剰設備と中国等からの輸出増
    • 他地域の保護措置(米国など)によるEU市場への迂回輸出
    • EU内の需要減少と価格下落

EU自身、「この措置は2018年の最初の発動から数えて最長8年で終了する」と明言しており、現在のセーフガードは2026年6月で打ち切りが原則です。

2-2. 2025年から運用は一段とタイトに

「延長したからしばらく現状維持だろう」と見るのは危険です。
2024年末に開始された「機能見直し(functioning review)」を経て、2025年3月に公表された実施規則2025/612により、運用がタイト化しています。

さらに3月25日、欧州委員会は輸入制限強化を発表しました。

主なポイントは以下の通りです。

  • 関税割当(TRQ)の水準をおおむね15%程度削減
  • 国別枠の「余り」を他国に回すといったキャリーオーバー(持ち越し)を禁止
  • 輸入圧力が高く需要が低迷している品目では、より厳しい管理
  • 枠を超えた分には引き続き25%の追加関税

つまり、同じルールの名前でも、実質的な輸入の「門」はじわじわ狭まっている状況です。

2-3. 2026年以降は「新たな鉄鋼輸入政策」へ?

2026年6月で今のセーフガードは終わる――はずなのに、EUはすでに「その先」の構想を打ち出し始めています。

2025年7月、欧州委員会は今後の鉄鋼保護策に関するコンサルテーションを開始し、セーフガード終了後も何らかの保護メカニズムが必要だとの立場を示しました。

続いて2025年10月7日、現行セーフガードに代わる新たな鉄鋼輸入政策の提案を公表。法律事務所の分析によれば、その骨子は次の通りとされています。

  • 無税枠(TRQ)の大幅削減
    • 2024年比で約47%減(年間1,830万トン程度に上限)
  • 超過関税の引き上げ
    • 25% → **50%**へ引き上げ
  • 「melt and pour(溶解・鋳造地)」のトレーサビリティ義務
    • どの国で溶かされ、鋳造された鋼材かの証明を求め、迂回輸出を防止
  • 対象:現在セーフガードの対象となっている26品目カテゴリーにほぼそのまま適用
  • 発効予定:2026年7月以降(EU議会・理事会での審議・修正を経て最終決定)

重要なのは、これはまだ「提案」であり、確定ではないという点です。しかし、方向性としては、

「現行セーフガードより、さらに厳しい恒常的な輸入管理」

に向かっているシグナルとして読むことができます。


3. EUは何を恐れているのか:政策の「読み方」

3-1. 背景にあるのは「世界的な過剰設備」と中国

EUがセーフガード延長と新しい保護策に踏み切ろうとしている背景には、世界的な鉄鋼過剰設備があります。

欧州鉄鋼連盟(EUROFER)のファクトシートによると:

  • 中国の鉄鋼輸出は2024年に1.3億トン規模
  • EU向け輸入のシェアは2024年に**27%**まで上昇
  • 2008年以降、EU鉄鋼産業では約9.5万人の雇用が失われた
  • 2024年だけで約1,800万人トン相当の能力が閉鎖

さらに、米国がEU産鉄鋼への関税(25%→50%)を再強化したことで、米国向けが閉ざされた分の鉄鋼がEU市場へ迂回するリスクも高まっています。

EUから見ると、
「このまま何もしなければ、輸入に市場を奪われ、脱炭素投資どころではなくなる」
という危機感が明確です。

3-2. グリーンスチールと産業政策

大手鉄鋼メーカーのアルセロール・ミタルも、**「グリーンスチール投資には、より強力な貿易防衛が必要だ」**と公然と主張しています。

  • エネルギーコストの高止まり
  • 中国などからの低価格輸入
  • 顧客がグリーンスチールに十分なプレミアムを払いたがらない

こうした事情から、EUは2025年に「Steel and Metals Action Plan」を打ち出し、グリーンディールとの整合を取りつつ、鉄鋼産業への支援と保護を強める方向に舵を切っています。

3-3. 「鋼材ユーザー」側からの強い反発

一方、機械・電機・自動車など鋼材を大量に使う下流産業は、新たなセーフガード案に強く反発しています。

欧州のテクノロジー産業団体Orgalimは、「新しいEU鉄鋼セーフガードは欧州の製造業競争力を損なう」として強く反対するポジションペーパーを公表しました。

  • 鋼材ユーザーのコスト増
  • 特殊鋼などEU内で十分作れない製品の供給不安
  • 四半期ごとの割当枠管理による頻繁な枯渇リスク
  • 「melt and pour」ルールによる事務負担の増加

などを理由に、提案の修正や撤回を求めています。

ポイントは、EU内部で「鉄鋼メーカー vs 鋼材ユーザー」の綱引きが激しくなっているということです。これは最終的な制度設計に大きく影響するため、日本企業としてもウォッチすべき重要な「兆し」です。


4. 日本企業にとっての「痛点」はどこか

4-1. 日本からEU向け鋼材輸出

Akin Gumpの分析では、2025年7〜9月期のデータで、冷延鋼板(CRC)や溶融亜鉛めっき鋼板(HDG)などの主要品目について、日本を含む複数国がTRQ枠を9割〜ほぼ100%使い切っていると指摘されています。

ここに、

  • 2025年のTRQ削減(約15%)
  • 2026年以降の47%削減・50%関税案

が重なると、次のようなリスクが現実味を帯びてきます。

  1. 枠の早期枯渇 → 期中に一気に50%関税ゾーンへ
  2. 「残余枠」を狙うグローバルな競合との争奪戦激化(キャリーオーバー禁止で余裕も減少)
  3. 価格転嫁が難しいFOB契約では、サプライヤー側のマージン圧迫

日本の高級鋼材・自動車向け鋼板などは「ニッチかつ高付加価値」であるがゆえに、EU市場へのアクセスが限定されると代替市場を探しにくいという構造的な弱点もあります。

4-2. EU域内で鋼材を調達する製造業

欧州に生産拠点を持つ日系の自動車メーカーや建機・産業機械メーカーは、域内調達価格の上振れリスクに向き合う必要があります。

  • EU内の鉄鋼価格が、アジアに比べて常に割高になりやすい
  • グリーンスチールへの転換コストも上乗せされる
  • サプライヤーがセーフガードを理由に価格交渉力を強める可能性

サプライチェーンとしては、

「どの工程でどの鋼材をEU由来にするのか」
「どこまでをアジアから輸入し、どこからをEU内生産・調達とするのか」

といった、生産・調達の線引きを再設計する必要が出てきます。

4-3. 商社・トレーディングビジネス

鉄鋼トレーダーや商社にとっては、

  • 第三国経由のスキームが「melt and pour」ルールで塞がれるリスク
  • TRQの国別・品目別配分の変化に応じたポートフォリオ組み替え
  • EU・英国・中東など複数市場を見ながらの物量の再配分

といった実務的な対応が必要になります。


5. 兆しをどう読むか:実務者向け「ウォッチポイント」

EU鉄鋼セーフガードの今後を読むうえで、ビジネスパーソンが押さえておきたい「チェックポイント」は次の5つです。

① EU官報・欧州委員会(DG TRADE)の動き

  • 実施規則(Implementing Regulation)の改正
  • DG TRADEのニュースリリースやコンサルテーション告知

→ 法令ベースでルールが動きそうな「前触れ」を早期に把握。

② 業界団体のポジションペーパー

  • EUROFER(鉄鋼メーカー)
  • Orgalimなど鋼材ユーザー団体

→ どの程度「強い措置」が政治的に許容されるかを読む材料。

③ TRQ消化率と輸入統計

  • HSコード別・原産国別の輸入量
  • 各カテゴリーのTRQ消化率(枠の埋まり方)

→ 自社が関わる品目の「枠の混み具合」を常時モニター。

④ 米国・中国を中心とした他国の貿易政策

  • 米国の鉄鋼関税(再導入・引き上げなど)
  • 中国・東南アジアの輸出動向、設備増設計画

→ 他地域の一手が、EUへの迂回輸入圧力として跳ね返る。

⑤ EU域内の政治・雇用情勢

  • 大手製鉄所の閉鎖・リストラ報道
  • 各国政府・地方政府の支援・救済策

こうしたニュースが増えるほど、「より強い保護措置を求める声」が政治的に力を持ちやすくなります。


6. 2026年までに日本企業がやっておきたい5つのアクション

最後に、ビジネスパーソンの立場から見た「実務的な打ち手」を5つに整理します。

1. 自社製品を「HSコード×セーフガードカテゴリー」で棚卸し

  • 自社が扱う鋼材・鋼材を含む製品を、
    • HSコード
    • EUセーフガードのカテゴリー
      にマッピングし、「どの枠に乗っているのか」を可視化する。

2. 主要サプライヤー別のコストシミュレーション

  • 日本・韓国・EU内・第三国など、サプライヤー別に
    • TRQ枠内/枠外
    • 25%(現行)/50%(提案段階)の関税
      を前提とした原価シミュレーションを作成しておく。

3. 長期契約の価格条項(price adjustment clause)の見直し

  • セーフガードや新規輸入規制を「価格調整事由」として明示
  • 枠の急激な枯渇で関税が跳ね上がった場合のコスト分担ルールを合意しておく

4. 調達・生産の地理的分散

  • EU向け需要のうち、
    • どこまでを**EU域内生産(ローカル・フォー・ローカル)**で賄うか
    • どこまでを輸入でカバーするか
  • 中東・ASEANなど他地域への販売先転換シナリオも含め、複数パターンを事前に検討しておく。

5. 社内の「通商アラート」仕組みづくり

  • 法務・経営企画・サプライチェーン・営業を横串でつないだ小さなタスクフォースを設ける
    • EU官報・DG TRADEの更新
    • 業界団体の声明
    • TRQ消化率
      を月次〜四半期でレビューし、経営陣への簡易レポートを定例化する。

7. おわりに:セーフガードを「守り」で終わらせない

EU鉄鋼セーフガードは、単なる貿易規制ではなく、

  • グローバルな過剰設備
  • 米中・米EUの通商摩擦
  • グリーンスチールへの投資負担
  • EUの産業政策と政治・雇用

といった大きな潮流が交差する「縮図」です。

**2026年までの2年弱は、「現行セーフガードの最終章」であると同時に、「その先の新ルールへの助走期間」**でもあります。

  • ルールが決まってから慌てて対応するか
  • 兆しの段階から構造を読み、打ち手を仕込んでおくか

この差が、数年後の利益水準や市場シェアに大きく響いてきます。

この記事が、EU鉄鋼セーフガードの「兆し」を読み解き、
守りと攻めを両立させる通商戦略を考える一助になれば幸いです。